著者 安田泰淳(雑学研究家)



島ではないのに広島県!いったい何故?

広い島と書いて広島県!
あれれ~? 島という文字が入っているのは何故だろう~~~?


広島県といえば毛利家という印象がありますよね♪
この毛利家の祖となった人物が大江広元(平安末期ー鎌倉初期)という人物です。


彼は下級貴族だったのですが、
源頼朝に可愛がられると出世コースを歩むことになりました。


一方、歴史に名前を残すことになった毛利輝元・毛利元就!どちらも「元」が付いていますが、大江広元の「元」を拝借してるのです。


同じように、毛利家に仕えていた吉川広家・山内広通・益田広兼などにみられるように、大江広元の「広」を与える習慣もあったそうです。 それだけ、「大江広元」の存在は毛利家にとって偉大だったわけです☆


1589年、毛利輝元はお城(広島城)を作る事になりました。さてさて、名前をどうしたものか?


山県氏覚書によると、
広島の広は大江広元の「広」をとったと伝えられています。


そして、お城を作る場所にかかわった福島元長(その土地を支配していた人物)の「島」をとり、「広島城」にした!


このような説が有力になっています。(雑学研究家 安田泰淳)


    







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