2012年10月12日更新 著者 出川 雄一(障がい者就労研究家)



乳児の死亡率を0%にした町長!深沢晟雄さんとは誰ですか?

地方自治を勉強すると、必ずこの村長にぶち当たります。
深沢晟雄(まさお)さん(1905 - 1965)は岩手県沢内村の村長をしていた人物です。


大雪の影響や、町そのものが貧しかったために、乳児を病院に運ぶ事すらできなかった時代! 沢内村では乳児の死亡率が6パーセントに達してしまいました。


1957年、このような状況の中、1人の村長さんが誕生します。
深沢晟雄村長です。


深沢村長は町を改革するために様々な政策を行い、人々の生命を守った人物として語り継がれています。


深沢村長が最初に目を向けたのは交通の整備です。
道路に降り注いだ雪を取り除くために、500万円もの大金をはたいて6トンの中古ブルドーザーを購入しました。


しかし、すぐに壊れてしまい使い物にならなくなってしまうのです。
すると、深沢村長! 業者に直談判し、10トンの新品ブルドーザーを550万円の分割払いで購入にする事ができました。


ブルドーザーを使わない夏場には、町民に貸す事によって農地を耕し、町民の収入と町の税収を上げることに成功しました。


〇道路を整備する環境が整ったので、今度はお医者さんを連れてこなければなりません。そこで、母校である東北大学にお願いをし、お医者さんの派遣をお願いするのですが・・・


「あんな山奥の村に派遣しては医師の技量が落ちてしまう。」 
と断られてしまうのです。


ここでも諦めなかった深沢村長!
9ヵ月もの交渉の末、大学側が折れる形で優秀な先生を派遣してもらう事に成功しました。


道路と医療の環境が整った沢内村


〇今度は赤ちゃんの健康政策に取り掛かります。
人間は太陽に浴びないと骨が軟化してしまいます。


当時、赤ちゃんを育児用のかごに入れておけばいい!という習慣があったので、一日中置き去りにする事もあったようです。


この考えを改めさせるために、「おばあちゃん努力賞」を提案!
姑の意識を変えれば母親の意識も変わると考え、孫の面倒を一生懸命見たおばあちゃんに賞状を送ったのです。


〇さらに、深沢村長は一歳未満の乳児と65歳以上の高齢者に対し、無料で診察を受けられる制度を思いつきます。赤ちゃんやお年寄りの生命を大切に考えていたからです。


しかし、ここで問題が発生しました。
国民健康保険法には、「医療費の一部を患者が支払わなければいけない!」と書かれています。


その結果、国との交渉に失敗しますが、村の議員を説得します。


深沢村長
「国民健康保険法に違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ。憲法が保障している健康で文化的な生活すらできない国民がたくさんいる。訴えるならそれも結構、最高裁まで争います。本来、国民の生命を守るのは国の責任です。しかし国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついてきますよ。」


といい、国の指摘を完全に無視し、
独自の考えで医療費の無料を行ったのです。


この政策を行った結果、
乳児死亡率は驚きの0パーセントを達成するのです(1962年)


乳児死亡率が0パーセントになった自治体は他にありませんでしたので、深沢村長の改革は全国に知れ渡る事となり、注目されるようになったのです。


乳児の生命を救った深沢村長!


現在、深沢村長の政策はモンゴルに波及しています。
というのも、モンゴルは国土が広く、医療が隅々まで行き渡っていませんでした。そこで、深沢村長の考えを参考にし、母子保健センターが誕生したそうです。


モンゴルでは母子保健センターの誕生により、乳児死亡率が大幅に改善されているということです。 出川 雄一 (福祉ジャーナリスト / 障がい者就労研究家)


    


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