2013年2月17日更新 著者 出川 雄一(障がい者就労研究家)



明治時代!視覚障がい者の方は鍼灸の仕事で働く事ができたの?

点字名刺を視覚障がい者のお仕事として根付かせたい!
そう考えた泰淳さんは、現在でも視覚障がい者の方が働いている、鍼・灸・按摩の歴史について調べているようです。(´゚ω゚`) 


◎少しだけ鍼灸の歴史を
鍼や灸などの本格的な技術は、遣隋使や遣唐使によってもたらされたと考えられています。 →  鍼灸の技術!いつ頃、伝わってきたの?


そして、日本の盲人が
鍼などのお仕事として働き始めたのが室町時代だとされています。


江戸時代になると、幕府が当道座(とうどうざ)=(盲人達の助け合い集団・盲人達の職業組合)を保護する福祉政策をとるのです。


江戸時代、「農民の子供は農民!」 「武士の子供は武士!」 という身分制度がありましたので、職業を選択する自由はありませんでした。 しかし、幕府は当道座に対して保護政策をとっていたので、鍼や按摩などの医療行為、または金融業などのお仕事を認めていたのです。


つまり、江戸時代の盲人は全盛期を迎える事になったのです(ノ^-^)ノ



しかし、時代は明治へと移り変わります。
政府は欧米に追いつけ追い越せ!の理念を掲げ、千数百年続いてきた東洋医学(気や血のめぐりを良くし自然に治そうとする医学)をあっさりと切捨て、西洋医学(悪いところを切ったり、薬を使う医学)を普及させる政策をとるのです。


鍼灸は残念ながら非正当医学の扱いになってしまいました(>_<。。)
明治初期、西洋医学のプロが少なかったため、例外的に漢方医で働いていた人に対しては、西洋医学の営業免許を与えていたそうです。


時代が移り変わり、困ってしまったのが視覚障がい者の方々です。
「日本の伝統医学が非正統医学になってしまったら、国の支援を受けて、鍼灸などの勉強する事ができないではないか(T-T) そもそも、非正当医学ってことは、鍼灸の営業すら、させてもらえなくなっちゃうの??」


お役人達は焦ります
「目が見える人に対しては、東洋医学で働いていた人たちを西洋医学で働かせる事ができるのだが・・・。 視覚障がい者に対してはそういうわけにもいかないぞ・・・ いったいどうすればいいのだろうか?」


そこで、盲学校では鍼按科が認められ、西洋医学の体系の下で、鍼や灸などの教育を施そうと考えたのです━(゚∀゚)━ また、鍼灸の営業に関しては、「内外科医の指図を受けて、治療を行うように」と定められました。


民間療法という形でひっそりと営業を行っていたそうです。
民間療法 = 民間に流布し、医師にかからないで行う経験的な療法


その後、視覚障がい者の方々は政治の力で按摩業の独占を認めてもらおうと努力します。


しかし・・・


政府側
「明治時代になったのだから、どんな人であっても、どんな職業に就くことが可能になったんだ。 視覚障がい者に例外を認めてしまったら、按摩で働きたいと願っている晴眼者(目が見える人)の道を閉ざしてしまうではないか」


そこで、妥協案として考えられたのが免許制の導入でした。
「免許を持っていないと営業ができませんよ!」というものです。


1911年(明治44年)に「按摩術、鍼術灸術営業取締規則」を制定。試験を受け、合格をすれば免許を与える制度が導入されるのです。視覚障がい者にいたっては、一定の条件を満たしていれば無試験で免許を与えることが出来たそうです。


視覚障がい者のお仕事 = 「鍼」・「灸」・「あんま」
このような方程式が現在でも成り立っているのは、盲学校で十分な教育を受けれた事。 そして、試験などで優遇されていた事が関係していると思いました。


教育って大切なんですね。


次のレポートでは
そもそも法的に視覚障がい者の定義は存在するの?というテーマで書かせていただきます。 出川 雄一 (福祉ジャーナリスト / 障がい者就労研究家)


    


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