2014年1月30日更新 著者 出川 雄一(障がい者就労研究家)              このエントリーをはてなブックマークに追加  




新渡戸稲造!どんな人物だったのですか?



今日は新渡戸稲造(1862-1933)さんについて調べてみました。新渡戸さんの精神は、日本人の本質にとどまらず、福祉の本質に通じているかもしれないよ(^▽^) という事でレポートを書かせて頂きます。


稲造さんは岩手県盛岡市の出身で、武士の家系に生まれました。


そして、稲造さんのお父さんやお爺ちゃんは、農民の生活が豊かになるためにと、十和田湖のお水を引くための活動を行っていたのです。そうなんです。武士でありながら農民の為に、自分自身を犠牲にして生きていたのですね。


新渡戸さんが五歳になると、お父さんが亡くなります。 


お母さんは、「お父さんやお爺ちゃんは偉かった!自分を犠牲にして、世の中の為に生きた人だったんだ」と息子に語りかけていたそうです。


このお母さんもまた、武士の家系で育った人間です。稲造が9歳になると、「まだまだ子供と一緒にいたい!」という自身の欲求を犠牲にし、「東京へ行って修行した方がいい。それが息子のためになるのだから!」 そんな気持ちで、上京させる事になるのです。


上京した稲造さん。
しかし、支えとなっていた親戚の経済状況が悪化。15歳の時に、国費でまかなってもらえる札幌農学校(現在の北海道大学)に通う事になりました。


やがて東大に進むのですが、明らかに大学のレベルが低い事を実感し、「自分で自分の道を切り開くしかない!」 札幌農学校の教授になったのち、22歳の時にアメリカで勉強をする事になるのです。


そして、留学先で出会ったのが、ベルギーの法学者であるド・ラブレーという人物です。「おまえの国では、宗教教育がなされていないようだが、どうやって子供に道徳を教えているのだ?」と質問されるのです。


「ハッ!」と思った稲造さん。即答できませんでした。
「親父や爺ちゃんは農民の為に犠牲になり、そして母ちゃんもまた、俺の為に犠牲になり、子供の幸せを願っていた。 そういう気持ちが、代々受け継がれ・・・」


この、ド・ラブレーの問いを答えた書籍こそが、世界中で大ヒットした、「武士道」という本なのです。日露戦争で勝利した日本、「いったい日本の強さはどこから来ているのだろうか?」このような世界中の疑問を解決する手段として、武士道は世界中で読まれることになったのです。


武士道のフレーズ(37歳の時に出版)
「自己の個性をさえ犠牲にして、己よりも高き目的に使える事」
「使命の為に犠牲になる事が、自らを生かすことになる」
「運命に任せるという平静なる感覚、不可避に対する静かなる服従」
「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽くして人を咎めず」 ←西郷さんの言葉も紹介されていました。


俺の父ちゃんは、農民の為に働く事こそが自らの使命だと感じたのではないか?俺の母ちゃんは、子供の為に尽くす事が自らの使命だと感じたのではないか?日本人の心には、このような精神が知らず知らずのうちに身に付けられている。と感じるようになるのです。


やがて、第一次世界大戦がはじまると、大きな犠牲が世界中を覆います。この大戦を反省し、もう戦争が起きない世界を目指そう!こんな気持ちで立ち上がった組織が国際連盟です。


稲造さんの学識。
それに、使命に自らを捧げる思想は必ず世界平和をもたらすだろう。こうして、国際連盟の事務次長に選ばれ、平和活動に努める活動を行うのです。 



☆ 「使命の為に犠牲になる事が、自らを生かすことになる。」 ← 凄い事をいいますね(。・ω・)ノ 福祉にとって大切なことは、自分の使命を全うする事なのかもしれませんね。   参考資料 知ってるつもり


追記
1931年に軍部の暴走による満州事変が勃発。
1933年に国際連盟を脱退


自分の使命は平和活動だ!
稲造さんは、アメリカで平和を訴える講演を100回ほど重ねました。しかし、その方向を修正する事が出来ず、戦争が勃発する事になるのです。


    


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