2014年1月20日更新 著者 安田泰淳(雑学研究家)             このエントリーをはてなブックマークに追加  




暴走族!爆音を響かせながら田んぼ道を走らない理由

哲学者のデカルト(1596-1650)さん。 何やら凄いことをおっしゃっていたようですq(^o^)p


「我思う、故に我あり」


デカルトさんの考え
「あらゆる存在を疑う事ができる。しかし、そう考えている自分の存在は疑う事ができない」


「目の前に山がある。果たして、自分が見ている景色と、相手が見ている景色は同じものなのだろうか?それを証明する術がないではないか ヽ(>血<)ノ いや、まてよ・・・ そんな事を考えている自分の存在だけはここにある(^_^)v 自分だけは絶対に存在しているよね ――(*´・∀・`)―♪」


つまり、この時代、既に存在について深く考えられていたのです。


暴走族が田んぼ道で爆音を響かせながら走らないのは、「自分はここにいるんですよ~」というメッセージ(存在)を、誰もキャッチしてくれないからだと思います。


愛情で育てられた子供達は、たとえ親と離れていても見えない糸でつながっています。自分の存在を、遠くから見守ってくれているお母ちゃん。お父ちゃん。 僕は存在しているんだねぇ(* ̄▽ ̄*)~


しかし、愛情で育てられなかった子供たちは、自分の存在がここにあるのかどうか?不安で不安で仕方がない。自分の存在を確かめたいがために、爆音を響かせながらバイクや車に乗っているのではないか?


だから、人気のない田んぼ道で爆音を響かせて走らない。と考えています。


人は群れで生きる理由。
もしかしたら、存在と関係しているのかもしれませんね。


福祉の世界に当てはめるならば、障がい者の方が自分の存在を相手に伝える環境作り。ここが、幸せにつながる第一歩だと思います。だからこそ、障がい者雇用が大切ですし、その居場所を作るために点字名刺プロジェクトを立ち上げた次第でございますm(_ _)m  (雑学研究家 安田泰淳)


    


幸せの本質6 暴走族!爆音をならしながら田んぼ道を走らない理由










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