著者 安田泰淳(雑学研究家)



石田三成!民から慕われていたのは何故?


石田三成が関が原の戦いで掲げた紋です


この石田三成さん!
名だたる武将から嫌われていましたが、自身が治めていた近江では、民から慕われる存在だったのです。


民はどうして石田三成さんを慕っていたのでしょうか?
それは、石田さんが関が原の戦いで掲げた紋と関係がありました。


「大一」(だいいち)・「大万」(だいまん)・「大吉」(だいきち) と書かれています。


大なる一人が大なる万民のために。
そして、大いなる万民が一人の為に尽くせば、大吉(平和でみんなが幸せに生きられる)となる! だから、みんなで一緒に幸せになろう。 このようなメッセージが込められているのです。



三成さんは民に対してある約束事を交わしています。

三成が民にあてた9か条の掟書きです。
〇「豊作で米がたくさん収穫できた時は皆さんのものでよい」
〇「なにか不満があった時は三成に直訴しても良い」


多くの大名が農民に対して搾取をしていく中、三成さんはできるだけ民に幸せになってもらいたいと考え、口約束ではなく文章で農民の権利を認めたのです。つまり、三成さんは民の為に政治を行っていた人物なのです。


関が原の戦いで徳川家康に敗れた三成さん!
その後、自身が治める国へこっそり戻ります。そこで、三成を出迎えたのが民の面々でした。


恩義を感じた民達はリスクを背負ってでも三成さんをかくまい続けたのです。 しかし、家康は近江の人々に対して挑発してきます。


「奴をかばう人間はその一族もろとも処刑する」


「これ以上、みんなに迷惑をかけられない。」
そう考えた三成さんは自分を差し出すように民に命令するのです。民は必死に説得を続けますが、その意思はかたく・・・


こうして、石田三成さんは斬首され、41歳の若さでこの世を去りました。 (雑学研究家 安田 泰淳)

    











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