著者 安田泰淳(雑学研究家)



丸の内!三菱のビルが多い理由??

丸の内といえば、
1590年に徳川家康が江戸城を作った場所として知られています♪


現在、この周辺を見渡すと、三菱系のビルが30棟以上存在し、一部の人からは三菱村とまで呼ばれています。


この丸の内!
三菱が所有するビルが沢山あるのは何故でしょうか?


江戸時代、丸の内周辺は各地の大名が暮らしていた場所でもありました。明治時代になると、官有地(陸軍)として国が管理する事になりますが・・・


しかし、明治政府は財政難(><)
「お金を捻出するためにはどうすればよいのだろうか?」


そこで、丸の内周辺の土地を売却すればいいのでは!と考えたのですが・・・ 売りに出しても買い手がなかなか見つかりません。


何故ならば、当時の丸の内周辺は整備がなされていなかったために、荒れ果てていたからです。


この頃、三菱財閥は創業者である岩崎弥太郎がガンで亡くなり、弟の弥之助が総帥になっていました。しかし、弥太郎ほどの実力が無く、丸の内の売却にも関心がありませんでした。


一方、三菱財閥の最高幹部である荘田平五郎は海外でこの情報を耳にします。視察に訪れていた荘田は、海外のオフィス街を目の当たりにしており、その必要性を認識していたのです。


荘田平五郎 
「丸の内はオフィス街に最も適した場所だ! ここを買い取れば三菱の繁栄の礎になるだろう」と提案したのです。


荘田の実力を認めていた弥之助は何の疑いも持たずに150万円もの大金をはたいて買い取ったそうです。


このような背景から、丸の内に三菱が所有するビルが沢山存在しているのです。 (雑学研究家 安田 泰淳)


    







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