そこで、いじめのない障がい児の教育施設を立ち上げようと考え、設立した学校こそが、しいのみ学園でした。

当時、小児まひの子供は差別を受けており、受け入れる施設そのものが存在しませんでした。そこで、昇地さんは私財を投じ、ある信念のもと施設を運営するのです。

「科学に限界はあるが、愛情には限界はない」

その教育法は一風変わったものでした。天候や園児達の気分を察し、その時々にあったプログラムを組むようにしたのです。

運動場で教育を施し、教室で休ませる。また、叱る事はせず、笑顔で子供立ちに接するよう心がけました。

しかし、福岡県からクレームがきてしまうのでした。 「生活指導をする施設なのに、教育を施しているのはどういうことか?」

そこで、昇地さん!福岡県に対し言い放ちます。
「法は守らないが子供は守る」 

この結果、認可の取り消しとなり、補助金の停止を命じられてしまうのです、しかし、その後も独自の障がい児教育を展開し、社会に注目を集める施設となるのです。


    


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