2014年7月28日更新 著者 安田泰淳(雑学研究家)            




学ラン!「ラン」ってどんな意味ですか??



学ランを一言でいえば!
「男子学生用の衣服」と答えるのが一般的だと思います。特徴は詰襟(つめえり ・ 首のまわりを筒状に覆い、襟の前をホックで締めて着用するタイプのもの)を用いた制服ですよね。


学ラン! 学ラン? 
ここで疑問に思ったぞ(ノ*´_●`)ノ


学ランの「学」は学生を意味していると思うのですが・・・ それでは、ランって一体なんだろう?? 今まで疑問に思ったことすらありませんでした(^^)


ズバリ答えから☆
学ランのラン!実はオランダのランが由来しておりました。


江戸時代、日本は鎖国をしており貿易が制限されておりました。しかし、例外的にオランダとは貿易を行う事を認めていたのです。


どうして幕府はオランダと貿易を行う事を認めていたのでしょうか?


もともと、鎖国を行った理由はキリスト教に乗っ取られるのを防ぐためでした。しかし、オランダは布教活動を積極的に行っていなかったため、幕府から信頼され、貿易を行う事が認められたのです。


昔むかし、ヨーロッパではカトリックが圧倒的な勢力を持っていました。 しかし、至る所で腐敗が起き、これを改める動きが出てきます。 様々な宗派が誕生し、それをひっくるめてプロテスタントと呼ばれるものが誕生しました。


次第に、プロテスタントが力をつけていく中、カトリックは窮地に立たされます。そこで、勢力拡大の為に目を付けたのが、「アフリカ」や「アジア」だったのです。 よって、1549年に布教活動でやってきたフランシスコザビエルさん!やはりカトリックの信者だったのです。


そうなんです!
オランダはプロテスタントの国なので、積極的に布教活動をしなくてもよく、ここが幕府に認められる要因となったのです。


江戸時代、オランダから様々なアイテムが日本にやってきます。後に、オランダからやってきたものをオランダ○○と呼ばれるようになり、次第にオランダから送られてくる織物類を、「オランダ」と呼ばれ・・・ さらにそれを省略して「ランダ」と呼ばれるようになりました。


日本が開国すると、西洋の文化を積極的に取り入れます。学生服も明治6年ごろから西洋のものを参考にし、学生が身に着ける西洋の服(ランダ) 


学生 + ランダ = 学ラン という呼び方が誕生したといわれています。 そうだったんだぁ~o(*・▽・)ノ  (雑学研究家 安田泰淳)


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