著者 安田泰淳(雑学研究家)



吉田松陰!どんな教育者だったの?

吉田松陰(1830 - 1859)といえば、高杉晋作や伊藤博文などを育てた教育家として知られています。果たして、松陰はどのような教育者だったのでしょうか?


松蔭(しょいん)さんは長州藩士の次男として生まれました。子供の頃、兵法を学ぶのですが、自分の学んだ兵法が役に立たない事に気が付くと、見聞を広める為に旅に出ます。(1850年)


旅をしていた松陰さん!
すると、黒船が浦賀にやってきた情報を耳にするのです。


「海外の情報をたくさん手にしたい!」


すると、身分の低い金子重之輔という人物が松蔭の考えに賛同し・・・・  そして、二人は黒船に向かうと、「俺達をアメリカに連れて行ってくれ!」とお願いするのです。


残念ながら願いは叶わず、
この行為が幕府に知れ渡り、二人は牢獄に入れられてしまうのです。


牢獄に入った松蔭さん!その時、身分制度を嘆くのです
「何故、身分の低い金子は衛生状態の悪い場所に閉じ込められているんだ!」


金子さんは体調を崩しこの世を去ることになるのです。


松蔭は思います。
「身分で区切られているこの仕組みそのものが間違っているんだ。 志があるものが日本を背負わなければ、いずれ外国に飲み込まれるだろう。」


一方、松蔭が入れられていた監獄には11人もの囚人が入っていました。その中に高須久子という女性の姿もありました。


この久子さん!


身分が低く、困り果てていた人たちを自宅に連れて込んでは、食事を与えたり、寝床を与えていたのです。これが原因で牢獄に入れられてしまいました。


松蔭は久子と意気投合!
身分制度を否定する気持ちに拍車がかかりました。


やがて、松蔭は牢獄にいる人たちに教育を施します。この教育こそが、人々にやる気を与え、後に松下村塾を築く礎となるのです。


無気力な囚人に対し、
松陰はどのような手法でやる気を出させたのでしょうか?


吉田松陰の言葉です
「人賢愚(ひとけんぐ)有りと雖(いえど)も 各々一二(おのおのいちに)の才能なきはなし 湊合(そうごう)して大成する時は必ず全備(ぜんび)する所あらん」


意味がまったくわかりましぇ~~ん


↓ 翻訳


「人にはそれぞれ能力の違いがある! しかし、誰にでも一つや二つの長所はあるもんだ。その長所を伸ばしてあげれば、立派な人間になるものだ。」


松陰の周りにいる囚人は、殺人・傷害の前歴を持った人たちです。


ある日、字を書くのが上手だった同じ囚人の富永有隣(ゆうりん)を褒めあげ、「私の師になってほしい」 とお願いするのです。


今度は俳句を得意とした吉村善作を褒め上げ、「私の師になってほしい」とお願いします。


しばらくすると、
「他の囚人にも教えてくれないか?」 と松蔭が頼み込むと・・・


気難しい性格だった富永や吉村は、気持ちの変化があらわれました。 みんなに教えてあげる事で自信がつき、穏やかな性格に変わっていくのです。いつしか活気に満ち溢れ、牢獄は学ぶ場所へと変わっていくのです。


そうなのです!
松陰さんは囚人達に偏見なく接していたのです♪


やがて、出獄を許されると、私塾である松下村塾(しょうかそんじゅく)で講師をする事になるのです。


この時、松蔭は考えます。
「身分制度にこだわっては駄目だ!この塾は志さえあれば、誰でも通ってもいい学校にしよう」 と、身分の隔てなく塾生を受け入れるのです。


また、牢獄にいる時の経験から、塾生の個性を大切にする事も欠かしませんでした。久坂玄瑞の紹介で塾に通う事になったのが高杉晋作です。高杉さんは気性が激しく、型にはまる事を嫌った人物でした。頑固で意地っ張りの変わり者!


そこで、松蔭は考えます。
「ここで高杉を強制すると、晋作の持っている良い部分を萎縮させてしまうのではないか?」 と、彼の行動をたしなめる事はしなかったそうです。


自信の過剰さは、時として行動力を生み出します。
松蔭はこの個性を大切に考え、口うるさくいわなかったのです。


やがて、松蔭は幕府転覆を唱えると、再び牢獄にいれられてしまい処刑されてしまうのです。(享年30)


牢獄の中で松蔭は塾生達に手紙を残します。
「今の日本を改革するためには、身分に関係なく、志を持った一人一人の人間が立ち上がらなければならないよ。」


晋作は松蔭の志を受け継ぎ、
身分に関係のない混成部隊(奇兵隊)をつくり、幕府軍を打ち破るのです。



〇子供に対する接し方
〇部下に対する接し方


松陰先生から学ぶべき事がたくさんあるのかもしれませんねm(__)m  (雑学研究家 安田 泰淳)


    








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