著者 安田泰淳(雑学研究家)



孫子の兵法!孫武とはどんな人ですか?

「孫子」という兵法書の著者である孫武(孫子)について調べてみました。


孫子の兵法は13編から構成されています。
しかし、このページで全てを書くことはできませんので、まずは孫子とはどんな人物だったのか?について簡単にまとめてみました。



孫武(紀元前535年 - ?)は斉(せい)という国の貴族の子供として生まれました。立場上、様々な軍事的な情報を得る事ができたので、幼い頃から兵法について勉強する事ができたそうです。


しかし、斉では仲間同士の争い(クーデター)が起きてしまい、命の危険を感じた孫武さんは呉に逃げる事になるのです。やがて、呉でも権力闘争が起こってしまい、お兄さんを殺害した弟の闔閭(こうりょ)が王様になるのでした。


やがて、闔閭は考えます。
「呉に逃げ込んだ人間であっても、才能があればいつでも登用しよう」 


闔閭
「宮中にいる美女(180人)を二手に分け軍事演習を行ってくれ!無事に行う事ができたら、孫武さんを大将軍に抜擢しよう。 そして、この部隊の隊長になるのは俺の王妃二人だ。」


テスト当日!


宮中にいる美女は甘やかされて育っているので、なかなか孫武さんの言う事を聞きません。


何度も命令を出す孫武さん。
誰もが孫武の大将軍入りを諦めたその時!孫武は軍法官に対してある命令を出すのです。


孫武
「軍の権限は私に任されている。その私の命令が遂行されないのは隊長の責任である。」 といい、二人の王妃を処刑するよう命じるのです。


焦ったのが王様の闔閭さんです。


闔閭
「頼むから処刑しないでおくれ!」


すると、孫武さん
「たとえ君命であっても従いかねる!何故ならば、軍法とは絶対的な権威があって軍を統率する事ができるからだ。」


と、王様の命令を聞き入れず、二人の王妃を処刑するのでした。
別の二人を隊長に任命した孫武さん!すると、美女達は孫武の命令を真剣に聞き入れ、見事に編成された軍へと変わってゆくのです。


闔閭は特別に優れた王様ではありません。
しかし、器が大きく孫武の力と筋が通っていた行動力を認め、処分することなく大将軍に抜擢します!この孫武の活躍により呉は一時代を築くことになるのです


そんな孫武さん!
兵法の達人ですが、戦争は好きではありませんでした。


孫武さん
「自分の兵法を用いて、この乱世を平和にしたいんだ。」
春秋時代はいくつもの国が存在し、争いごとが耐えない時代でもありました。


つまり、孫武の考えは、100戦100勝するよりも、戦わずして勝利を収める事を大切にしていたのです。自分の兵士の命だけではなく、相手の兵士の命をも大切にしていました。


それでも戦争をしなければいけない場面もあります。
そこで、孫武さんの哲学の登場です。


孫武さん
「争いは最小の被害、最大の速度で、完全勝利を収めなければならない」


この理念に基づいて書かれたものこそが孫子の兵法なのです。(孫子の兵法については後ほど書かせていただきます)


2500年以上経っても、なお受け継がれている孫子の兵法!
この考えには物事の本質がたっぷりと詰まっており、経営者など様々なリーダーは孫子の兵法を応用させる事で現代でも活用しているようです。  (雑学研究家 安田 泰淳)


例 孫子の兵法を応用した孫正義さんの経営哲学 
→ 孫正義の「二乗の兵法」 - YouTube


    








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