著者 安田泰淳(雑学研究家)



連合艦隊司令長官!山本五十六とは誰?

「やってみせ、いって聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」


名前が五十六(^^) 面白いですね♪ 
父親が56歳の時に生まれた子供なので、五十六(いそろく)と名づけられました☆


山本 五十六(1884 - 1943)は海軍の軍人で、太平洋戦争時の連合艦隊司令長官だった人物です。 艦隊とは軍艦2隻以上で編成された海軍の部隊をいいます。この様々な軍艦を指揮したのが山本五十六さんでした。


山本さんが凄かったのは、世界情勢を把握できた数少ない人物だった点です。陸軍と異なり、戦争に消極的だった海軍!山本さんの分析によると、


「日本の戦力はアメリカの戦力よりもかなり劣っているので、戦争をしても勝ち目がない!」というものでした。


1940年、海軍出身の米内光政が総理大臣になります。米内さんは戦争に消極的でしたが、戦争に積極的な陸軍から陸軍大臣を出さない!と突きつけられ辞任することになるのです。


流れは一気に戦争ムード!
戦争は避けられない情勢になりました。


そこで、戦争に反対していた山本さんは考えます。
日本が生き残るためには早期の講和しかない。 (講和とは戦争をやめ、平和を回復する事です)


つまり、最初から勢力を結集させて戦い、ある程度勝ち進んだら、戦争をやめるための交渉を行おう!と考えたのです。


日本はアメリカから油などの資源を輸入していたので、戦争に陥ると手に入らなくなってしまいます。


そこで、目を付けたのが東南アジア(インドネシア)の油田です。


しかし、東南アジアを支配するにはハワイのオアフ島に存在するアメリカの空母や太平洋艦隊が邪魔になってきます。


そこで、オアフ島の真珠湾を攻撃する事で、戦いを優位に展開しようと考えたのです。この攻撃で多くの艦隊を撃破することに成功しました! その後、日本は連戦連勝で、真珠湾攻撃から半年の間に東南アジアから西太平洋までの広大な領域を支配下に収めます。


この連合艦隊を指揮していたのが山本五十六さんでした。


講和を考えていた山本さん。
しかし、連戦連勝でしたので、日本の国民や政治家は、ついついその気になってしまい、講和をしようとしませんでした。


結局、ミッドウエーの海戦で日本は敗北。
有能な人材の多くを失ってしまったために、その後の戦いに不利な情勢となってしまい、講和のタイミングを逃してしまうのです。 (雑学研究家 安田 泰淳)


    








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