著者 安田泰淳(雑学研究家)



沖縄の発展に尽くした人物!上杉茂憲とは?

前回、上杉鷹山とはどんな改革を行ったの?という事で、レポートを書かせて頂きました。 → 人を大切にした藩主!上杉鷹山とは?


上杉謙信が凄かったのは、70戦して一度も負けなかった点です。


謙信さん
「俺は私利私欲の為に戦っているのではない! 人が幸せになるために戦っているんだ。」 ← この気持ちを証明するのが武田信玄との戦いでの出来事です。


武田軍は今川家と仲が悪くなってしまい、塩を送ってもらえなくなりました。 山国の武田軍にとっては一大事! しかし、謙信は武田軍と戦っているにもかかわらず、なんと敵に塩を送ったのです。


「塩が滞る事で、一番困るのは甲斐の民ではないか(ノ^-^)ノ」


信玄が亡くなる間際、息子に対していうのです。
「俺が死んだら謙信を頼りなさい。謙信は義の精神があるので、お前が困っていても見捨てる事はしないだろう」


ちなみに、義とは人間として備わっていなければならない道徳心(モラル)や正しい道の事で、”利” と対比される概念です。


上杉謙信が強かったのは、義の精神により様々な仲間を引きつけ、世の中を良くして行こうとする表れが団結心へと結びついた為ではないか? そんな本質が見え隠されているものと考えています。


その後、義の精神は米沢藩最後の藩主、上杉茂憲(うえすぎもちのり)へと受け継がれます。 (1844 - 1919)  今日の沖縄があるのは、上杉茂憲の義の精神によるものではないか??と考える人も存在するぐらいです。


茂憲さんは1881年に沖縄県令(知事)に就任します。しかし、沖縄の光景を目の当たりにして愕然とするのです。至る所で人身売買が繰り返されており、沖縄は貧困に苦しめられていたのです。沖縄では旧王族や支配階級が牛耳っており、また重税により市民は苦しめられていたのです。


茂憲は政府に対していいました。
「国はどうして見て見ぬふりをしているんだ! これらの支配階級を撤廃し、税金を軽減してあげなければ、人々の疲弊感はなくならないではないか!」


すると、明治政府は茂憲に対して厄介者扱いするのです。


腰を上げない新政府!
そこで、茂憲さんは私財を用いて沖縄の人たちを救おうと考えたのです。


「自分のお金を何に使えばよいのだろうか? そうだ! 沖縄を蘇らせるためには、若者たちに教育を受けさせてあげる事が大切だ! 自分の私財を教育につぎ込み、沖縄の人たちを幸せにしたい!」


そこで、沖縄にいた優秀な人材を東京に向かわせ、高度な教育を受けさせてあげるのです。 ← その後、教育を受けた彼らが沖縄の礎を築く事になるのです。


茂憲さんはわずか二年ほどで首になってしまいます。
しかし、米沢に帰る際、さらに3000円の奨学金を寄付して沖縄を立ち去りました。これらの支援が沖縄の発展に役立つことになるのです。。


自分の利益ではなく、
沖縄発展の為に義を貫き通した人物こそが上杉茂憲さんなのです。(雑学研究家 安田 泰淳)


    











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