2015年2月6日更新 著者 安田泰淳(雑学研究家)            




北方領土の日!どうして2月7日なの??

うーーん。今日のクエッション。
北方領土の日はどうして2月7日なんだろう⊂(´θ`)⊃


よ~し☆ 今日も元気に調べてみるよ(@゚▽゚@)


実は、「2月7日は北方領土の日にしますよ~」というのは、閣議で決められていたのです。閣議とは、内閣総理大臣が主宰者となり、その意思を決定する会議です。


つまり、政府が北方領土の日を2月7日に設定する事を決めたのです。というのも、北方領土の返還を求める団体が数多く存在し、その団体が、「北方領土の日を設けた方がいい!」と主張したのです。


政府
「ウーーーン☆ みんながそこまでいうのであれば、北方領土の日を設けようではないか(@゚▽゚@)」 という事で、1981年1月6日に閣議決定のもと、2月7日を北方領土の日にしたのです。


やはり疑問を抱きます。
北方領土の日はどうして2月7日なのでしょうか??


閣議決定をした際、
「北方領土の日」設定の理由書 というものに、その答えが書かれていました。



我が国の固有の領土である歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島の北方四島は、戦後35年を経過した今日、なおソ連の不当な占拠下にある。

~~ つづく ~~

このような現状にかんがみ、毎年2月7日を「北方領土の日」とし、この日を中心として全国的に集会、講演会、研修会等の行事を行い、この問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層強力な推進を図ることといたしたい。

なお、2月7日は、1855年(安政元年12月21日)日魯通好条約が調印された日である。


つまり、日露通好条約を結んだのが2月7日なので、この日を北方領土の日にしたのです。


ムムッ!日露通好条約って一体なんだろう?
実は!日本とロシアの間で、はじめて国境を決めたのがこの条約となっています。



内閣府の画像を引用


この条約では、択捉島(えとろふとう)と得撫島(うるっぷとう)の間の国境を設けましょう。そして、樺太は国境を決めないでおきましょう。というものでした。


その後、千島樺太交換条約により、「日本は樺太は放棄しますが、千島列島は日本の土地ですよ~」という条約を交わし(1875年)


日露戦争に勝った日本は、ポーツマス条約により、樺太の半分をも支配する事になりました。(1905年) 画像参照


しかし、日本は太平洋戦争に敗北すると、サンフランシスコ講和条約により、千島列島と南樺太を放棄しました。(1951年) (サンフランシスコ講和条約にソ連は調印していません)


ポイントはここです。
日本は北方領土は放棄していないのです。


ロシア側は、千島列島の中に北方領土が含まれていると主張しています。というのも、日本は千島列島は北方領土に含めたニュアンスで表現している条約が存在し、ロシアはここをついてきます。


一方、日本側は1855年2月7日に締結された日露通好条約での国境区分を主張しています。実際、北方領土に多くの日本人が住んでおり、日本人によって開拓され、日本人が住みつづけた島々です。この歴史背景を理由に、日露通好条約では北方領土は日本の領土となっており、主張をする根拠となっています。


これらの停滞した状態に対し、北方領土問題に対する国民の関心を深めてもらうため、2月7日を北方領土の日と制定したのです。(雑学研究家、安田泰淳)


    


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