2012年10月2日更新 著者 出川 雄一(障がい者就労研究家)



点字ブロックの開発者!三宅精一さんとは?

世界にまで普及している点字ブロック!


点字ブロックの正式名称は視覚障害者誘導用ブロックといいます。実は点字ブロックという名称は安全交通試験研究センターの商標登録名だったのです。


この安全交通試験研究センターを立ち上げたのが、今回の主人公である三宅精一(1926 ー 1982)さんなのです。


はい!三宅さんが点字ブロックを開発しました。


東京オリンピック(1964年)が開催された頃から、日本でも自動車が普及し、より便利な社会へと発展していきました。 しかし、車社会が及ぼす弊害も多く、様々な問題を引き起こていました。


この頃、三宅さんは白杖で横断歩道を歩いていた盲人を見かけます。しかし、大きなクラクションを鳴らしながら走る車とすれ違うと・・・ その盲人の方は恐怖のあまり、しゃがみこんでしまうのです。


この光景を見た三宅さん
「視覚障がい者が安全に歩ける社会を作らなければいけない。自立していくためには単独で歩ける環境を作らなければ!」


1965年、安全交通試験研究センターを立ち上げ、点字ブロックを作る決意をするのです。


ちなみに、点字ブロックの名前の由来はの「点字新聞」や「点字教科書」のように、点字〇〇にすればわかりやすい。 という事で点字ブロックと命名しました。


そして、歴史的な瞬間を迎えます。
1967年、建設省の交渉を経て、岡山県立盲学校の近くにある国道二号線の横断歩道に点字ブロックを埋め込んだのです。(予算は付かず、私財を投じて完成させました)


ついに、点字ブロック構想が実現したのです。


しかし、ここからが苦労の始まりです。
さらに私財を投入し、様々な自治体に点字ブロックを寄贈しましたが・・・ 注文が全然入りません・・・ さらに私財を投入する三宅さん。とうとう資金が底を付きかけてしまったのです(><)


三宅精一さん
「社会の為に頑張ってきたが・・・ 資金がなくなってしまった。 もう諦めよう。」


そんな時・・・
東京都から一本の連絡が入ります。
「日本点字図書館や日本盲人福祉センターなどがある高田馬場に点字ブロックを導入したい!是非、力を貸して欲しい!」というものでした。


なんと、東京都から注文の電話が入ったのです^0^


1973年、田中角栄さんは福祉元年と位置づけ、70歳以上の高齢者の医療費を無料にしたり、年金の給付を引き上げたりと、国レベルで福祉社会へと舵を切り始めたのです^0^


田中角栄さん
「景気がいいから税収も増えている。このお金を福祉につぎ込もうではないか!」


その後、オイルショックにより高度経済成長が終わり、福祉政策は見直されますが、点字ブロックの需要は増え続け、今日に至るというわけです。


三宅さんは57歳の若さでこの世を去りました。しかし、点字ブロックはさらに普及し、三宅さんの志が現在でも引き継がれているのです。 → (財)安全交通試験研究センターのホームページ  出川 雄一 (福祉ジャーナリスト / 障がい者就労研究家)


    


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